2010年10月24日

バスケットボール経歴、その他略歴と現状_2010/10現在

2010年10月24日

バスケットボール経歴、その他略歴と現状_2010/10現在
http://blog.seesaa.jp/pages/my/blog/article/edit/input?id=166925568
今年7月、東京工業大学バスケット部OB会の会長に就任した。これを機会に、恩師畑龍雄先生から教えられた「バスケットする心」をもって、60有余年発展させて来た「私のバスケットのすべて」の蘊蓄を傾けて、現役の部活動の品質向上をプロモーションしたいと思っている。
というわけで、この投稿も更新する!

バスケットボール経歴
1949年、武蔵中学3年編入と同時に、兄・健日子(ベルリンオリンピック代表)の感化で、入部、畑龍雄先生(ミュンヘン・オリンピック代表監督、学校では主事先生)の指導を受ける。
1950年、チームは東京代表として名古屋国体に参加、優勝した福岡高校に準々決勝で2点差で惜敗、高校1年で補欠・ベンチ入りできず。
1951年、高校2年、チームは東京代表として名古屋インターハイに参加、優勝した北越高校に決勝で敗れる、サブとして出場、シュート0/6、フリースロー1/3、反則3。
中学2年生の指導を担当、後に日本代表として活躍した木村・石川等の優秀選手のお陰で、都大会第2位。50対0の完封記録あり。
1952年、主将となるも、レギュラー全員が卒業した後を受け継いで、シーズンはじめは1回戦負けの屈辱を味わったが、先生に言われるままに懸命にやったら、伝統校の指導体制のお陰で、夏には、東京代表として酒田インターハイに参加、準優勝した洛北高校に準々決勝で延長戦で2点差で敗れる。チームの主力周辺プレーヤーとして活躍。
1953年、東工大入学、須藤六郎教授に認められ、石坂高志氏の指導を受ける。
旧制大学2部リーグで奮闘。
1954−1957年、1955年新体育館竣工。東工大バスケットボールの現場リーダーとして活動する他、石坂氏の後を受けて、栃木県氏家高校の男女チームを指導、県予選決勝進出、関東大会への出場などの成果を挙げる。東工大はリーグ戦順位は、2部4位を概ね確保、教育大と中央大を一度負かした戦績あり。
リーグ戦一試合で43点を挙げたのが自慢!
1958−1968年、三菱化成黒崎工場のバスケットボール部を市民大会レベルから九州代表レベルに育成強化、1964年には全日本総合選手権に出場、緒戦、松下電器に前半同点の接戦を演ずる。1960年には、八幡製鉄(現新日鐵)OBの強化選手として、東京国体に参加。
1960年、ここでも新体育館竣工、戦後のオールジャパンの名センター八谷 貢氏率いる東洋高圧大牟田(現三井化学)を招いて親善試合を行う。
1972年ダイアホイル(株)長浜事業所(滋賀県)バスケットチーム編成、滋賀県リーグに参加。
1968−1997年、三菱化成本社チームの活動に参画。
2003年、東京工業大学バスケットボール部OB会副会長2005年、日本バスケットボール振興会顧問
2009年、このブログがきっかけで長崎女子短期大学の山ア純男様(鶴鳴高校の監督として知られる)から、35年前に対戦したときの印象を記したメールを頂戴して感激。
2010年、東京工業大学バスケットボール部OB会会長、現役チーム活動の品質向上プロモーションに着手。

以上、余暇利用のバスケット研究・開発を継続中。
posted by BB Consultant at 05:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ご挨拶! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。